昭和37年、ある街角。ここはどこ? [昭和30年代]
北方謙三の「望郷の道」に出てくる正太と同じように、一旗あげようと台湾は台北に裸一貫で渡った祖父は、刻苦勉励の末、太春石鹸なる石鹸会社を設立し、台湾の人たちに鬼と呼ばれながらも、写真で見る限り、立派な工場を経営していたようだ。
戦争が近づき、引き揚げて田舎に引っ込んだ彼が唯一悔やんだことがあった。なぜあの時東京へ行かなかったのか、あの市村清氏のように、戦後の焼け野原の銀座に立ち、そこから歩き出さなかったのか。
同じ佐賀県出身なだけに三愛の創始者市村清氏のことはとても尊敬していて、その先見の明に感服していました。
銀座ではないまでも、私たちはよく親たちに言います。どうしてあの時、あの土地を買っておかなかったの、そうすれば今はこうだった、ああだったと。
今一枚の写真があります。昭和37年頃のようです。移っているのは今の事務所の大家さんの久美ちゃんと従姉妹、従姉妹の腕に抱かれているのは弟さん。さて、私たちがその時その街角に立って、果たしてこの通りに土地を買おうと思うでしょうか。
明日は46年後の同じ通りの写真をお見せします。
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2008-06-27 00:18
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