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新幹線の最上級席「グランクラス」★ [昭和30年代]

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意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)別れてゆく貴方の旅先の地は、遠く空の彼方になってしまっても、そちらから風の便りを送ることを忘れないでください。

新幹線の最上級席「グランクラス」★

『JR東日本・東北新幹線の新型車両「はやぶさ」最上級クラスのシート「グランクラス」。料金は、東京―新青森間で運賃、特急料金と合わせて2万6360円。』へえー!

素敵なお席で素敵なお値段ですね。ふと40年前の帰省風景を思い出しました。あの頃のお定まりは、急行「雲仙」での東京-肥前鹿島23時間の旅でした。それも席などなく、満員の車内で、立ちっぱなし、運よく洗面所で、洗面台に寄りかかれれば最上級の「マイクラス」でした。

今考えると、23時間あれば、本の一冊や二冊、どうかすると、普段なかなか読めないパソコン関係のマニュアルや古典が読めたりして、最高だと思うけど、それも席があっての話でしょうか。ただ、ひたすら時間が経つのを我慢したことしか覚えていません。


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「梅ケ枝の手水鉢、叩いてお金が出るならば~」 [昭和30年代]

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(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)水無瀬の離宮から見渡せば、山麓は春霞で水無瀬川の夕暮は何とも言えない風景だ。枕草子の「秋は夕暮」というこをと信じていた私は今まで何を考えていたのだろう。
http://home.cilas.net/~jikan314/shinkokinwakashu/kanbetu/01/0036.html

「梅ケ枝の手水鉢、叩いてお金が出るならば~」

なかなか取れない国立劇場の文楽の切符を取ったのに、田舎のお母さまが具合が悪いということで、急きょ帰省することになったため、私にチケットが回ってきた。

居眠りしないように、前の晩たっぷり眠って向かった40年ぶりの国立小劇場の文楽「ひらかな盛衰記」はなんとも魅力的なものでした。普通のお芝居に比べて男性の数が多く、今まで行った中では一番年齢は高かった。

義太夫と三味線は段ごとに変わり、それぞれの違いが味わえるぜいたくなもの、舞台の両側に字幕が出るのでずいぶんわかりやすい。最初は男中心の話が進むが、ヒロインの千鳥がけっこうはっきりものを言うので面白い。

後段になり、勘当になった梶原源太景季の呑気な若殿を支えて遊女に身を落とす梅ケ枝(千鳥)が源太のために300両を工面するのに悩みぬくシーンで、脳裏に浮かんだのは「梅ケ枝の手水鉢、叩いてお金が出るならば~」のフレーズ。ああ、これだったんだ。染み込んでますねえ、DNAに。
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修学旅行の文集 [昭和30年代]

2008-10-7.jpg(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)秋の露が袂にたくさんついています。貴方を長い夜の間飽かずにまっていたので、月まで宿っているほどに。
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(写真撮影は白浜氏・花の写真は武蔵野、風景は滋賀県伊吹山です)


修学旅行の文集

 高校の還暦同窓会に参加するため帰った昨年の前泊旅行にY君が持ってきたのは、中学の時の修学旅行文集。色あせてはいるけれど、保存状態が良く、懐かしい昭和30年代の香りがした。
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文集の表紙、私の文は中のほうにありました。ここに出ているのではありません。

 でも、自分の文を見て驚いた。まるで自意識が洋服を着て歩いているような、触れれば神経がピリピリ音を立てそうなゆとりも余裕も無い自分の文章。

 よく若い時に帰りたいと言う方もいるけれど、私は絶対に戻りたくない、皆さんはいかが?


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この玄米の栄養素をそっくり含む米ぬか(ぬか層・胚芽)を麹菌で発酵させた玄米酵素には、玄米のすべての栄養素が凝縮されています。


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鴨とライオンとオールディーズ“新宿KENTO’S” [昭和30年代]

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 朝からガー、ガーとうるさいなと思ったら、また、事務所横の野火止用水に現れた体長30センチほどの鴨くん。先日の親子の鴨のまさかあの赤ちゃん鴨が2週間でここまで大きくなるとは思えないけど、親鴨でもなさそう。今回は1羽だけで、丁度暗渠と暗渠の間の事務所横15メーターの間で、元気に、何やら餌をついばんだりして、夕方にはまた姿を消しました。

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大家さんがデジカメで写真を撮ってくれました。先日の親子の鴨騒動以来、大家さんも鴨が気になって仕方がないようで、自転車で下流のほうまで見に行ったり、野鳥の会の人に話を聞いたりしてるようです。なんでも鴨は羽が油で覆われていて、元気がなくなると、羽の油がなくなりヘタッとするそうでう。

今回現れた鴨くんはその点、羽もツヤツヤしていたので、大丈夫そうでした。それにしても1羽だけとは。群れでいますよね、鴨って。

夕方から高校の同窓会、新宿駅中央口からちょっとのビヤガーデンパーティ個室ライオンでしたが、うるさいおじさんおばさんたちだけど、個室だったので周りを気にせず騒げて良かった。そこで見つけたものが何でしょう、小さな引き出しを引くと中は3つに分かれている骨董品。

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同席した物知りの管理栄養士に言わせると、韓国の薬入れだそうです。なるほど引き出しの表にそれぞれ3つずつ薬草の名前らしきものが書いてありました。

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さて、二次会は当初シダックスでカラオケの予定が、メンバーの一人の情報で急遽、オールディーズへ予約変更。これぞ幹事の勝手というところですかね。ライオンからすぐ近くのABCマート横の6階へ上がると大音量の生演奏真っ最中。入ったのは13人だったのに、3時間後に出てきたのは10人、3人は、入って5分で逃げ出したのでした。

新宿のKENTO'Sなつかしい曲が次から次へ。HI-JACKでノリノリ、ゴーゴーでした。

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昭和37年、ある街角。ここはどこ? [昭和30年代]

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 北方謙三の「望郷の道」に出てくる正太と同じように、一旗あげようと台湾は台北に裸一貫で渡った祖父は、刻苦勉励の末、太春石鹸なる石鹸会社を設立し、台湾の人たちに鬼と呼ばれながらも、写真で見る限り、立派な工場を経営していたようだ。

 戦争が近づき、引き揚げて田舎に引っ込んだ彼が唯一悔やんだことがあった。なぜあの時東京へ行かなかったのか、あの市村清氏のように、戦後の焼け野原の銀座に立ち、そこから歩き出さなかったのか。

 同じ佐賀県出身なだけに三愛の創始者市村清氏のことはとても尊敬していて、その先見の明に感服していました。

 銀座ではないまでも、私たちはよく親たちに言います。どうしてあの時、あの土地を買っておかなかったの、そうすれば今はこうだった、ああだったと。

 今一枚の写真があります。昭和37年頃のようです。移っているのは今の事務所の大家さんの久美ちゃんと従姉妹、従姉妹の腕に抱かれているのは弟さん。さて、私たちがその時その街角に立って、果たしてこの通りに土地を買おうと思うでしょうか。

 明日は46年後の同じ通りの写真をお見せします。

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粘土屋さんのこと [昭和30年代]

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 マンガの話から発展して、子どもの頃の物売り屋さんの話に発展し、連れ合いが言うには、紙芝居やさんやポン菓子屋さんのほかに粘土屋さんというものが来ていたという。

 それについては私(佐賀県出身)も白浜氏(広島出身)も心当たりがない。

 なんでも、粘土をまず買って、それで、ある型に基づいて色づけをして持っていくと、その小父さんが、その出来不出来によって、点数を付けて、より高級な粘土をくれたり、型をくれるというような話。

 金色や銀色の粘土は皆のあこがれの的だったということ。どうも話がよく見えないんだけど、東京では昭和30年代にどこの町にも粘土屋さんがいたのでしょうか。

 連れ合いは工作が好きだったみたいだから、妹たちの分もどうやら作ってやっていたみたい。インターネットで調べると、粘土屋、型屋といって、確かにあったようです。考えようによっては、創造的な遊びとも言えるし、下手な子はいつまでたってもいい色は貰えないようで、貰えない組に入りそうな私としてはちょっと胸が痛い

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