上田敏が工専の先生だった? [友だち]
意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)夏越しの禊ぎを終えた川の瀬を見ると、解いていた夕暮れの紅のような御贖(みあがも)の衣の紐を結び、日も夕暮れとなって罪穢れを乗せた波が流れて行きます。
上田敏が工専の先生だった?
金曜日の4時過ぎは一時事務所が賑わう。パソコンの出張授業に出かける前の時間調整に寄るパソコンの先生S氏や、近所に住む麻雀仲間の老婦人のK子さんや、大家の娘さんが集まり、世間話に花が咲く。
連れ合いが読んだ五木寛之の「人間の運命」を、K子さんに丸投げして、「これ読みます?」と渡したら、亡くなったお父様が大変な親鸞の信奉者で、学生を集めては歎異抄の読み解きをやるほどだったとかで、「読んでみよう」と言ってくれた。
そんな話から、S氏が、「僕の工専の時の先生に上田敏がいた」と言い出した。歴史の中の人が突然飛び出して来た感じで、好きだった「わすれな草」の訳詩や「山のあなたに」「落葉」などが思い出されて、心がふわっとなった。
でも、どう考えても時代が合わないと思ったら、案の定1916年に亡くなっている。
彼の先生は一体誰?