結核と藤沢周平と父 [本]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)(風が吹けば遠いところへ行ってしまう鳴海の浦の潟を思い、)恋しい人は外の男の人になってしまう片思いの私は、あなたから思われぬことに泣いている千鳥です。
結核と藤沢周平と父
お客様に教えていただいて、ラジオ深夜便の「これでしばらく生きていける〜藤沢周平文学の魅力・文芸評論家 高橋敏夫」を聞くことができた。今日は最終回で、藤沢周平の5年間の結核療養所生活(東村山・篠田病院)の話が出ていた。
私の実父は体が弱く、赤紙が来て、村の人たちに送られて兵隊に行ったものの、即日帰郷となり、恥ずかしくて家には帰れないので親戚の家に身を潜めていたと聞いている。戦後、結婚して兄と私が生まれたものの、結核がひどくなり、国立嬉野病院に長期入院した。
当時としては最新の治療方法であった充填手術をして退院して家に帰って来た時、金太郎さんをした私が、誰かが来たと玄関に走って来て、長らく見なかった父を知らない人だと思い泣き出したという話をよく聞かされた。
昨年二日ほど出張で家を空け、帰ってきたところで王子にベソかかれました。
わらっちゃいましたけど、結構がっくり来ましたっけ (ーー;
by ぺんちゃん (2009-03-13 12:54)
ぼくもかなり前ですが、結核にかかりました。幸い軽かったので、そんなに休まなくてすみました。
今は、良い薬がありますから・・・。
お父さんも藤沢周平も同じ病気なんですね。藤沢周平さんは大好きでいっぱい読みました。
by moz (2009-03-14 10:58)