台湾からの引揚げ記 [家族のこと]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)岩間に閉じ込められた氷も今朝は解け始めて、苔の下にあった水も、流れる水となっているだろう。
台湾からの引揚げ記
今61歳だから、まあ一度は行けるだろうと思っている国が台湾。祖父が一旗揚げようと裸一貫渡った国が台湾で、祖父はそこで近くのクリーニング屋さんに兄を頼って手伝いに香川から来ていた祖母を見染めて結婚。
生まれた一人息子が父で、小学校高学年までそこで育っている。卒業前に体が弱かったので、佐賀に母親と二人だけで戻ったそうだ。だから卒業はしていないけど、父が通った「台北建成小学校同窓会」の会報第12号をいただいた。
今号の特集は「私の引揚げ記」で、大変興味深く読ませていただいた。読んで行くうちに懐かしい名前、なんと父の従姉妹の方。そして中身を読むと、「基隆港に移動し、旧日本の軍隊の誘導で、米国の輸送船に乗りこみ、(中略)21年3月6日和歌山県の田辺港に上陸、(中略)引揚げ先の佐賀県の叔父宅にゆく途中の広島駅を通過の際、車中から見た一望千里の原爆の爪あとは、今でも目に焼きついています」との文章がありました。
一望千里...なーんもなくなってしまったんですね (__)。
by ぺんちゃん (2009-03-31 12:28)
私は映画や記録写真でしか知らないのですが、
その様子を目の当りにしたのですものね。どんなにか心を痛めたことでしょう。
by puripuri (2009-04-01 19:40)