これが港?★ [旅行]
意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)荻の葉も約束があってか、まるで秋風が訪れると喜んで、色付いて染まってしまう妻のようです。
これが港?★
ナホトカのピオニール・キャンプに参加した息子の迎えに北陸道を一路敦賀港へ車を走らせたのが昨日のよう。空の色がなんとなく変わった気がした。
指定の時間に着くように急いだので、高速を降りるとどこへも寄らずに地図に従って港のほうへ。ところがどこにも桟橋らしきものもなく、不安になるが、三々五々同じ迎えの人らしき人々が集まっているので、
「ここが敦賀港ですか?」と聞くと、どうもそうらしい。
沖のほうに確かに船が見える。ソ連の船の名前は「プルミエ・リエ号」。こちらから税関の船が行って、海の上で入国の手続きを行っているとか。
その翌々年かに、その「プルミエ・リエ号」が船火事を起こしたとのニュースを見て驚いた。
タグ:敦賀港
北陸は蟹の季節★ [旅行]
意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)夕暮れになると荻吹く風の音も激しくなってきます。今後はまたどんなに風の音に寝覚めさせられるのだろうか。
北陸は蟹の季節★
福井のお客様からのメールの最後に、
「ちなみに福井県は、もうすぐ蟹の季節です。
庶民の口に、入るかどうかは分らないのですが・・・(^^ゞ」とあり、北陸の数少ない思い出が蘇ってきました。
あれはもう22年前、繊維労連という労働組合の単産に勤めていた私の関係で、当時ソ連のピオニールキャンプに長男(小学生)が参加することになり、行きは新潟港から、これは上野駅で通訳の黒田 龍之助さんにお願いした。
つまり、大阪の解放同盟の子どもたちが20人ぐらい参加の企画で、そこに東京から変則的に一人参加したという感じだったと思う。
最近、何気なく新聞の書評か何かを見ていたら、黒田 龍之助という名前が目に飛び込んできて、名前が珍しかったので覚えていたけど、あれから20年、ロシア語の分野では著名な方になっていたんですね。
VIVA 82歳! [旅行]
意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)夏が終わって、いらなくなった扇と秋の白露はどっちが先に置かれることでしょうか。
VIVA 82歳!
連れ合いの高校の時の担任の先生が、ピースボート3ヶ月世界一周の旅に出て、あっと驚かされたのは昨年の夏のできごとだった。
無事、お帰りになり、クラスで報告を聞く会を開いたり、丁度催された高校のホームカミングデイでも、その元気な姿で生徒たちを魅了されたものだ。
私たち夫婦が、家業を継いで玄米酵素の製造販売を始めた6年前、早速スーパー酵素をお買い求めいただき、当ショップの最初のお客様として以来、休むことなく酵素をお飲みいただいている。
昨日、丁度ご注文のお電話をいただき、世間話をしていたら、あれで最後と思っていたけど、南半球のほうはあまり行ってないから、12月にもう一度ピースボートに乗ることにしたとさらりとおっしゃる。
白黒写真はやめたほうがいい [旅行]
意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)少しの情けの言葉を掛けられた女のように、ほんのり白く見える夕顔の花だ。
白黒写真はやめたほうがいい
パスポートも切れて久しく、申請手続きに都庁へ。確か、昔は有楽町の交通会館で申請した覚えがあるけれど、最近は都庁や立川でもできるようになり、ずいぶん便利になったものだ。
一緒に行った息子は、近くのスーパー横の自動機で写真も用意していたが、用意の悪い私は当日現地で。自動機があるかと思ったら、人に撮ってもらうところしかない。
カラーが1600円、白黒だと1200円。「白黒でいいです」とカメラの前へ。
できてきた写真を見て、びっくり。そこにはおいさらばえた女が写っていた。先月2年ぶりにあった82歳の母のほうが若いくらい。
夜、連れ合いに事の始終を訴えると、「何にも不思議なことはないよ、若返って写っていたというのだったらおかしいけど、その通りなんだから」だって。
ハッピー・リタイアメント [旅行]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)春といえば霞ということで、昨日までは波の間から見えた淡路島の山も今日は(春になったことを示すように)霞んで見えない。
ハッピー・リタイアメント
ヨーロッパの人たちは、定年後の生活を如何にハッピーに過ごすかに全精力をそそぐそうですが、だんだん日本人の考え方も変わりつつある気がします。
60歳で、いや60歳前でも早期退職して、悠々自適の仲間がいます。そんな大阪在住のY・Мさんから届いたメールに添付されたスケッチはなんと駱駝。
チュニジア・ツアーに一人で参加して、初めて駱駝に乗ったり、楽しい旅だったようです。
細マジックで5分ほどで描き、移動中のバスの中やホテルで着色したそうです。
旅に出て、写真を撮るのも楽しいでしょうが、スケッチできたら、楽しみも倍増ですね。
1万円紛失! 携帯紛失! [旅行]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)神無月で木の葉は散り果ててしまい、今は庭に落ち葉を舞い上がらせる風の音が聞こえる
1万円紛失! 携帯紛失!
「屋上露天風呂・あわび・ふなもり8,980円!」の新聞広告に釣られて久しぶりの東伊豆の旅。確かにホテル12階の屋上の太平洋を眺めながらの露天風呂は「チョー気持ちいい」の一言でした。
駅まで近道5分だけど、この5分が胸突き八丁の上り坂。一緒に行った息子が足をくじいたというので、駅のマイクロバスで送られて早めに着いた駅の待合室で、お財布を開いて、「あれ!1万円足りない!」。次にカバンの中を探っていると、「あれ!携帯電話がない!」
30分後の次の電車に乗ることにして、大急ぎでホテルへ駆け下りました。フロントで聞くと部屋もロビーでも見つからないとのこと。もう一度部屋へ行き、お風呂場、食堂と駆け回りましたが見つからず、見つかったら送ってくださいと頼んで駅へ駆け戻りました。
これで、電車にも遅れたら泣きっ面に蜂だと思って、登って行きますが、これが苦しいのなんのって。あと4分で絶対にこの坂を登れない、登れるはずがない。エドハルミとやらも今考えるとえらかった。前をのんびり歩いている若い親子連れはまさか同じ電車じゃないよね。あの人たちは間に合って、私が駄目ということはないよね、などと、いろんな想念が駆け巡りました。
結果、1万円は思い違い、携帯は見つかって送ってもらいました。
今テレビに石川遼君がマスターズ招待記念で生出演中。お父さんに勧められて読んでいる本を通学のカバンから取り出したその瞬間、表紙を見てその本がわかりました。的中、ディック・フランシスの「興奮」でした。遼君のお父さんと本の趣味が私も一緒でした。
タグ:伊豆 ディック・フランシス
一泊朝食付き40万円也! [旅行]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)時もあろうに。冬の葉を守る神も神無月で居ないから、疎らになってしまった森の柏木。
一泊朝食付き40万円也!
お友だちのK子さんの台湾小学校以来のお友だちのM子さんは広尾のお屋敷に住んでいるお金持ちということは知っていました。
最近だんな様がドバイ旅行を計画し、おうちにJTBの人を呼んで旅行の企画を頼んだそうな(JTBの人は家に来るんですね)。説明を聞いて、「ハイ、こちらに判を」と言われるままに判を押して、ドバイへ出発。
さて、用意されていたホテルは、なんと、一泊朝食付き40万円の部屋だったんです。
ドバイまで行って、一泊ということはないと思いますから、一体どれだけかかったんでしょうね。チェックアウトする時、だんなさんのカードだけでは足らず、奥さんもサインしたそうですから、押してしるべしでしょうね。
もっと驚いたことがあります。お二人は80代の夫婦なんです。
タグ:ドバイ
暮れの忘年会旅行は一味違う [旅行]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)白雲の中をとても高く飛んでいる雁が、門前の田で休んでいる友を慕って、鳴いていますよ。
暮れの忘年会旅行は一味違う
友だちに誘われて伊豆下田のトータルジャパン下田に一泊旅行。お任せでホテルの予約から切符の手配から行きのお昼、帰りのお昼まで至れりつくせりのほとんどツアー状態。
トータルジャパン下田は会員制のホテルなので、なんといっても団体客がいないのがいい。岬の先端にあるホテルで崖を穿って洞窟風呂と称し、太平洋を眺めながらのお風呂はいつ行っても気持ちいい。
食事の後はみんなで浴衣の裾をしりぱしょりしてカッポレの強制練習。慣れぬ手つきで、「奴さーん、どちらへ」。
翌日は爪木崎で4部咲きの水仙の香りをかぎながら、寄せては返す波に心奪われました。
キャンペーンも一段落というところ、在庫が底をつき、ひやひやの今日この頃です。品切れになりましたらご勘弁下さい。
さて、仕事が忙しすぎて、ブログのほうまで手が回らず失礼しています。当面、訪問させていただくだけになると思います。
暮れの忘年会旅行は一味違う
友だちに誘われて伊豆下田のトータルジャパン下田に一泊旅行。お任せでホテルの予約から切符の手配から行きのお昼、帰りのお昼まで至れりつくせりのほとんどツアー状態。
トータルジャパン下田は会員制のホテルなので、なんといっても団体客がいないのがいい。岬の先端にあるホテルで崖を穿って洞窟風呂と称し、太平洋を眺めながらのお風呂はいつ行っても気持ちいい。
食事の後はみんなで浴衣の裾をしりぱしょりしてカッポレの強制練習。慣れぬ手つきで、「奴さーん、どちらへ」。
翌日は爪木崎で4部咲きの水仙の香りをかぎながら、寄せては返す波に心奪われました。
キャンペーンも一段落というところ、在庫が底をつき、ひやひやの今日この頃です。品切れになりましたらご勘弁下さい。
さて、仕事が忙しすぎて、ブログのほうまで手が回らず失礼しています。当面、訪問させていただくだけになると思います。
メイフラワー号が渡った海は? [旅行]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)月がとてもきれいに澄み渡っています。大空の雲を吹き払う嵐が夜半に吹いたので。
メイフラワー号が渡った海は?
ヘキサゴンとかいう番組を見るともなく見ていたら、簡単な小学校5年生程度の算数の問題を若いタレントやお笑いの子たちがトンチンカン答えを出して、見ていた息子に、「あれ、わざと間違えてるんでしょ?」と何回も確認してしまった。
「全くなんであんな簡単なことがわからないんだろう」とぶつぶつ言っていた私だが、考えてみるとあまり人のことは言えた義理じゃないこともたしかだ。
何を隠そう、今から20年前40歳の時まで、アメリカからヨーロッパに行くのに太平洋を越えて行くと思っていたのだから。
その頃、隣の奥さんが50歳の時、勤めていた貿易会社の秘書を退職者募集に手を上げて辞めて、退職金のプレミア分でエイジングを学びにアメリカのミシガン大学に留学した年だった。アメリカからの近況の手紙に夏休みを利用してヨーロッパに友人たちを訪ねて、日本で留守番しているご主人と合流して旅行する予定という手紙を受け取り、「それでは日本の上を飛んでいくんですね」と返事を書いたのです。
よくアメリカやイギリスの小説を読むと、親戚や知り合いを訪ねてアメリカに行く、ヨーロッパに行くという話が出てくるのをてっきり太平洋を船で行くと思っていたし、そもそも私の中ではメイフラワー号も太平洋を渡っていったことになっていたのです。
メイフラワー号が渡った海は?
ヘキサゴンとかいう番組を見るともなく見ていたら、簡単な小学校5年生程度の算数の問題を若いタレントやお笑いの子たちがトンチンカン答えを出して、見ていた息子に、「あれ、わざと間違えてるんでしょ?」と何回も確認してしまった。
「全くなんであんな簡単なことがわからないんだろう」とぶつぶつ言っていた私だが、考えてみるとあまり人のことは言えた義理じゃないこともたしかだ。
何を隠そう、今から20年前40歳の時まで、アメリカからヨーロッパに行くのに太平洋を越えて行くと思っていたのだから。
その頃、隣の奥さんが50歳の時、勤めていた貿易会社の秘書を退職者募集に手を上げて辞めて、退職金のプレミア分でエイジングを学びにアメリカのミシガン大学に留学した年だった。アメリカからの近況の手紙に夏休みを利用してヨーロッパに友人たちを訪ねて、日本で留守番しているご主人と合流して旅行する予定という手紙を受け取り、「それでは日本の上を飛んでいくんですね」と返事を書いたのです。
よくアメリカやイギリスの小説を読むと、親戚や知り合いを訪ねてアメリカに行く、ヨーロッパに行くという話が出てくるのをてっきり太平洋を船で行くと思っていたし、そもそも私の中ではメイフラワー号も太平洋を渡っていったことになっていたのです。
米ぬかってすごい!
グランドキャニオンへのドライブ [旅行]
(意訳:「新古今和歌集の部屋」自閑氏)日暮れにかかる何も無い秋の空を見ていると思わず涙が溜まって袖の露になってしまう。
近江八幡市・水郷です。
グランドキャニオンへのドライブ
ロサンゼルス見物はお決まりのグリフィス天文台、ロデオ・ドライブ、Wilshire Blvd.あたりでさらりと済ませて、いよいよ旅の最大の目的グランドキャニオンへのドライブへ出発した。
15号線に出るのにちょっとモタモタしたけど、あとは一直線なので迷うこともなく、ひたすら東へ東へ。すれ違う車も少なく快適なドライブを楽しんだ。何と言っても日本と違うなと思ったのは、こんな車が走っていていいのというほんとにポンコツの車が走っていたこと、そしてそんな車が道端に乗り捨ててあったこと。そして、家のように大きなタイヤの車と行き会ったこと、バイクや軽自動車が走っていなかったこと。
前も後ろも緑も家も何も無い砂漠の道を走りながら、いったいどうしてこんな国と戦争をしたのだろうというのが、一応は戦後生まれの私の感想だったことは間違いない。
その気持ちは忽然と現れた一大歓楽都市のスロットマシンで遊び、翌朝飛び立った小型機の中で確信しました。
だって、眼下に広がる砂漠の真ん中には、そのテーマパークの周りに、まるで粘土で作ったおもちゃのような一つ一つに律儀にプールの付いた家々があったのですから。
近江八幡市・水郷です。
グランドキャニオンへのドライブ
ロサンゼルス見物はお決まりのグリフィス天文台、ロデオ・ドライブ、Wilshire Blvd.あたりでさらりと済ませて、いよいよ旅の最大の目的グランドキャニオンへのドライブへ出発した。
15号線に出るのにちょっとモタモタしたけど、あとは一直線なので迷うこともなく、ひたすら東へ東へ。すれ違う車も少なく快適なドライブを楽しんだ。何と言っても日本と違うなと思ったのは、こんな車が走っていていいのというほんとにポンコツの車が走っていたこと、そしてそんな車が道端に乗り捨ててあったこと。そして、家のように大きなタイヤの車と行き会ったこと、バイクや軽自動車が走っていなかったこと。
前も後ろも緑も家も何も無い砂漠の道を走りながら、いったいどうしてこんな国と戦争をしたのだろうというのが、一応は戦後生まれの私の感想だったことは間違いない。
その気持ちは忽然と現れた一大歓楽都市のスロットマシンで遊び、翌朝飛び立った小型機の中で確信しました。
だって、眼下に広がる砂漠の真ん中には、そのテーマパークの周りに、まるで粘土で作ったおもちゃのような一つ一つに律儀にプールの付いた家々があったのですから。
やっと届いたS氏(体験フライト仲間)よりの写真